日記・エッセイ

ことばを耕す「お庭」として、Blogを書くということ。

現在、M2の私。

いまだに意見が求められる場面で、うまく言葉が紡げなくて、自分の考えを表現できない。

整理整頓が苦手である。

「心の乱れは、部屋の乱れ」実家に暮らしてた時に、自身の部屋に貼っていた。自分への戒めとして。

しかし、その効果が発揮するのも束の間。すぐに、外部の刺激が私を覆い、他者の思考で埋め尽くされてしまう。

気づけば、床に散らかり放題の本やら物やら。

自分は何を受けとったのか?それに対してあなたの立場は?どう感じた?何を考えた?

常に、わたしがキャッチしたことを問うてくれる大学院の環境は、私の人生においてなかなかなかったことである。

いろんな情報をキャッチし過ぎてしまって、頭の中が整理されていない。

私は、何に心が動いて、何を大切にしたくて、どういう人でありたいのか?

どんな生き方をしたいのか?

何を表現する人でありたいのか?

常に問い続けられる環境が、ありがたくも、苦しい。

でも、どろどろと今まで抑えてきた自分のことばたちが回復している過程でもあるような気がしてる。

私の内面世界をもっと、吐いていこう。

思考の排水をしなければ、新しい風も入ってこないだろうしね。

水やりもしないと。

自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

 

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

苛立つのを

近親のせいにするな

なにもかも下手だったのはわたくし

 

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志にすぎなかった

 

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

茨木のり子『自分の感受性くらい』

 

詩が響く今日この頃。

 

感性がその人らしく開花している状態でこそ、人は生き生きする。

そのような環境を整えるにはどうしたらよいのか。

人生初の反抗期。

抗ってる ひゃい。

 

 

 

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