「恐れ」「不安」はどこからくるのか。
不安がる必要はそもそもあるのか? 心配性の両親に育てられたことに気づき始めたこの頃。
両親の心配を、押しつけないでほしい。安心、ってなんだろう。どうなっても、戻って来れる。関係性が変わろうが、自分が変わろうが、また新たな関係を築ける希望のようなものなのかもしれない。
それが、根本的にない家だった。私が我慢してなんとか成り立っていた。
まずは、自分の矛盾した考え、弱さを認めるところから始めなくてはならない。1人で我慢なんて、自己犠牲で終わる。私は、頼った時に拒絶されるのではないか、と恐れているのかもしれない。1人で解決などできないのに。また、弱い自分を見せるのを怖がっている。幻滅されそうだから。他者のなかの私の像が崩れそうだから。
でも、多面的な自分を知ってもらえる、と考え方を転換してみたらどうだろう。どう思われるかは、私の心には関係ない。人が求める「私」にチューニングなんて合わせる必要はない。自分がどう生きたいか。どんな自分だと、私はうれしいのか。自分育ての最中だ。
スピリチュアルなケアなしには、共に生きることが成り立たないな。