大学院 日記・エッセイ

気がついたら修士2年になってました。【修論提出まであと、何日??あれれれれ】

タイトル通りである。

あっという間に、大学院生活も終わろうとしている。いや、終われるのか知らんけど。提出すればいいのだよ。うんわかってる。でも、書けない。なぜ書けないのか。

私が身を置いている研究科は領域横断的に研究している人が多く、自分が何を専門としているのか足元がぐらんぐらんになっていることが一つの理由だ。

専門書を読んで、自分の考えを育む前に、次の理論書へ飛びつくというありさま。

そのせいで、読みっぱなし、というか勉強している感に騙されながら疾走してきた感が否めない。

自分の考える力が、本を読むことで奪われているような気もしている。

うまく他人の考え方を使わせてもらいつつ、自分の考え方をほぐし、再構築していきたいのに。難しいなあ。

だから、このありさま。

で、絶対に優先順位違うのに、ブログ書きたくなって、2年ぶりくらい?にここに戻ってきたよ。

テスト前に、部屋を掃除したくなってはじめてしまうあれに似ているね。

掃除しているうちに、過去の手紙がでてきてさ、読んで過去の自分と出会いなおしたりしちゃってさ。

あのぬいぐるみどこだっけ、あの写真まだあったかな、あの子とあの子お互いに悪口陰で言い合ってたのに、なんで一緒にいたんだろ、一緒にトイレ行こう文化はじめ衝撃だったな。

今やるべきことから、あまりにも対極的なベクトルへと思考が飛ぶ。

 

はい。現在もそのような状態なのです。修論の序章を書いていたはずなのに、なんかここに文字を打ってますね。あれれ不思議だなあ。

夏休みよ、終わらないで。

やっと遊ぶことがわかってきたばかりなんだよ。

でも、遊ぶとなぜか罪悪感を感じてしまう。だから、予定を詰め込んで、考えないようにしている節がある。

昨日の夜観た『すいか』の8話。就活を終えて「長い夏休みが終了しました」と放った青年に対して、漫画家である絆は「わたしはずっと夏休みだよ...」と呟く。

そのシーンが印象に残っている。何かに所属しないことで、自由奔放に見られがちだけど、結構縛られている自分に悩んでいたり、「自由」とはどのような状態のことをさすのか考えさせられる。

自由とは、自分で選択できること。自分を自分で支えられること。

だから、のんびりゆらゆらふらふらっていう言葉が付随しそうだけど、なんだか苦しい。

 

ここにきてから「たくましい」「生きていく力がある」と表現してもらえることが多い。

 

でもインプットが消化不良を起こしていて、「わからないことがわからなああああい!!!!」と脳内発狂がぐるんぐるんしていたM1とM2前期。

この場を、庭にしよう。リハビリだな。書評、エッセイ、詩、短歌、なにをかくかわからないけど、自分の「ほんとう」が潤うのをここで確かめたい。

書かないと書けない。読めないと書けない。とにかく、吐き出してみる。やっと気持ちがむくむくと起き上がってきた。自分のことばで語るということ。

ことばの力を奪われてきたからこそ、私は自分で自分をささえるためのことばを紡ぎ続けたい。躓きながらでも、転びながらでも。

 

-大学院, 日記・エッセイ